■頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。
「語られうることは明晰に語られうる。
語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」
ヴィトゲンシュタインの、この言葉を思い出した。
この兄は病んでいるとも言えるが、それだけではない。語りえぬものの一端を示しているだけだ。
簡単に言えば、「頑張れ」という言葉が欲しい時と、そうでない時がある、ということ。そして頑張れと言って欲しい人には頑張れと言う人が、言って欲しくない人には、決して口にしない人が寄り添わねばならない。
哲学者でありながら、言葉の限界、哲学の限界に敢えて言及したヴィトゲンシュタインが好きだ。
これからの事態で何が大ゴトかって、様々な温度差を持つ、こうした人々「全員」を相手にしなくてはならないことだ。しかも時間が経つに連れ、折々様々に変化していく。それにもついて行かなければならない。あの麗しい「頑張れ」、「みんないっしょ」には、網羅の限界がある。
だから私は、この兄の方に行く。自閉と知的障害を患う子の親として、世界と運命と健常と平安への怨嗟を、抱かずにはいられない時がある私の心性は、この兄の方に近しい。
私も病んでいるのか?そうかもしれない。人間の中に糞泥の沸く冥(くら)い場所があると艱難したことが、そして誰しも身中に嬢矩咤 (ひくた)の蛭を飼うと辛苦したことが、その証左であると言うのなら。
だが予想される困難に対し、私達は両面でなければならない。「頑張れ」と言うことも、言わないことも、共に正しい。ただどちらもあって、初めて「準備」足りうるのだと、私は信奉する。
一人の中に両面あればベストだが、無理なら得手同士が分担すれば良い。誰しも向き不向きというものは、あるのだから。
ただ、願わくばそれらが、背中を預けあうものでありますように。背を向けあって、互いから顔を背け続けるようなものでは、ありませんように。
最後にもう一つ言葉を、アランの『定義集』から引いておこう。
愛他主義 ALTRUISME
これはエゴイズムの反対である。これは他の人たち
(autrui=他者)のことを思う性格、彼らが何を思
っているか、何を感じているか、何を希望している
か、何を欲しているか、何を欲するはずであるか、
何を我慢することができないか、などを考える性格
である。これは他人の位置に自分を置くことである。
したがって、彼らが表明する、あるいは彼らが表明
すると想定される賛嘆や非難によって強く影響され
る。この種の友情なしには、世界には社会というも
のは、まったく存在しない。
言葉を手がかりに、言葉の向こう側へ。
私達は、両面でなければならない。
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